最高裁判所第二小法廷 昭和51年(オ)49号 判決 1979年3月16日
上告人
株式会社協和銀行
右代表者
色部義明
右訴訟代理人
島谷六郎
外三名
被上告人
株式会社東洋楽器
右代表者
栗原豊
右訴訟代理人
大政満
外二名
主文
原判決中予備的請求を認容した部分を破棄する。
右部分につき本件を東京高等裁判所に差し戻す。
理由
上告代理人島谷六郎、同山本晃夫、同高井章吾、同杉野翔子の上告理由第一について
原審は、被上告人の予備的請求に関し、上告人の相殺の抗弁に対して相殺権の行使が権利の濫用である旨の被上告人の再抗弁を判断するにつき、資力の乏しい中小企業貿易業者がその取引銀行に対し輸出先の取引銀行が発行した信用状に基づく輸出商品の荷為替手形の買取又は取立を依頼すると同時にその買取又は取立金のうちから当該輸出商品の買付先である生産業者らに対する買受代金支払の方法として右生産業者らの取引銀行の口座に右代金相当額の金員の振込を依頼し、他方、自己の取引銀行からの依頼を承諾する旨の書面を受けてこれを生産業者らに提示し、これにより買受代金支払の確実性を担保して輸出商品を買受けることが一般に行われており、上告人は右の取引界における実情を了知していたこと、被上告人と訴外飛鳥貿易株式会社(以下「訴外会社」という。)との間に成立した本件取引も右の一般の例にならつたものであるところ、被上告人は上告人の承諾のある原判示の内容の輸出円貨代金振込依頼書(甲第一号証)を信頼し、確実に代金の支払が受けられるものと信じて訴外会社との間の本件取引に応じたものであること、上告人もその間の事情を知らなかつたわけでもないこと、を確定したうえ、右のような諸事情のもとでは、上告人の相殺の主張は、上告人が、訴外会社がたまたま倒産したことを理由にして、上告人の行為を信頼して行動した被上告人の権利を無視し、もつぱら自己の債権の回収のみを図ろうとするものであつて、訴外会社に対する関係ではともかく、被上告人との関係においては取引の信義則に反し権利の濫用として許されない、と判示し、被上告人の再抗弁を容れ、上告人の抗弁を排斥して、被上告人の請求を認容した。
しかしながら、本件訴訟は、被上告人が、民法四二三条一項の規定に基づき、訴外会社と上告人との間で締結された荷為替手形の取立金からの前示振込委任契約を訴外会社に代位して解除し、その結果、上告人の訴外会社に対する支払義務が具体化するに至つた右取立金の返還債務につき、被上告人が訴外会社に対して有する前示売買代金債権を保全するため、さらに訴外会社に代位して自己に直接支払を求めることを内容とする債権者代位訴訟であるから、被上告人の提出にかかる前記権利濫用の抗弁の採否は、まず本件訴訟の右の性格を考慮して決すべきものであるところ、債権者代位訴訟における原告は、その債務者に対する自己の債権を保全するため債務者の第三債務者に対する権利について管理権を取得し、その管理権の行使として債務者に代り自己の名において債務者に属する権利を行使するものであるから、その地位はあたかも債務者になり代るものであつて、債務者自身が原告になつた場合と同様の地位を有するに至るものというべく、したがつて、被告となつた第三債務者は、債務者がみずから原告になつた場合に比べて、より不利益な地位に立たされることがないとともに、原告になつた債権者もまた、その債務者が現に有する法律上の地位に比べて、より有利な地位を享受しうるものではないといわなければならない。そうであるとするならば、第三債務者である被告の提出した債務者に対する債権を自働債権とする相殺の抗弁に対し、代位債権者たる原告の提出することのできる再抗弁は、債務者自身が主張することのできる再抗弁事由に限定されるべきであつて、債務者と関係のない、原告の独自の事情に基づく抗弁を提出することはできないものと解さざるをえない。しかるに、本件において被上告人の提出した権利濫用の抗弁について原審がこれを採用した理由として判示するところは、要するに、上告人の相殺の主張は、訴外会社に対する関係ではともかく、被上告人との関係においては取引の信義則に反し権利の濫用として許されない、というのであるが、債権者代位訴訟における当事者の地位に関する前記説示に照らすと、本訴債権が相殺により消滅したと本件訴訟において主張することが訴外会社にとつては信義則に反し権利の濫用とならないため相殺による本訴債権の消滅を肯定すべき場合においても、なお被上告人との関係においては右相殺の主張が取引の信義則に反し権利の濫用となるものとして相殺の主張が容れないものとすることは、債権者代位訴訟である本件訴訟の性質からみて、債権者たる原告の地位を債務者が訴訟を追行する場合に比して有利にするものとして、許されないものといわなければならない。
そうであるとすると、被上告人に原判示の趣旨における権利濫用の再抗弁の提出を認めた原判決には、民法四二三条一項の解釈を誤つた違法があり、論旨は理由がある。したがつて、原判決中予備的請求を認容した部分はその余の論旨につき判断を加えるまでもなく破棄を免れず、上告人提出の相殺の抗弁の当否について更に審理を尽くさせるため右破棄部分につき本件を原審に差し戻すこととする。
よつて、民訴法四〇七条一項に従い、裁判官吉田豊、同本林讓、同栗本一夫の各補足意見、同大塚喜一郎の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
裁判官吉田豊、同本林讓、同栗本一夫の補足意見は、次のとおりである。
大塚裁判官の反対意見は民事訴訟法四〇二条、四〇三条に違反する。すなわち、被上告人の主位的請求については、原審は、「本件振込契約(甲第一号証による輸出円貨代金振込依頼契約)に第三者のためにする約旨が存在することについてはこれを認めるに足りる確証がない」とし、第三者のためにする契約の成立を否定して、右請求を棄却する判決をし、これに対し被上告人は不服の申し立をしなかつたのであるから、当裁判所は、原判決が確定した事実に覊束されるばかりでなく、不服申立のない右請求については調査、判断することが許されない(本件においては民事訴訟法四〇五条の職権調査事項は存しない。)。このことは、民事訴訟法が明らかに規定するところであり、これを許すときは、不服のない訴訟当事者の一方の利益のためにその相手方である訴訟当事者に不測の不利益を被らせるものであつて、いわゆる不利益変更禁止の原則に触れるばかりでなく、かえつて、私的紛争の公平な解決を目的とする民訴法の基本理念に照らして相当でないといわなければならない。右の理は、被上告人が主位的請求について上告又は附帯上告をしなかつたのは、大塚裁判官が推測されるように、被上告人が原審の判断を正当であると考えたためか、又はこれについて不服申立をする必要がないと考えたためか、どうかによつて左右されない。
大塚裁判官は、その反対意見の帰結として、原判決については被上告人の主位的請求を棄却した部分及び予備的請求を認容した部分の全部を破棄し、本件を原審に差し戻すべきものとされるが、被上告人の主位的請求については、原審が請求棄却の判決をし、これに対し被上告人は上告又は附帯上告の申立をしなかつたのであるから、当裁判所が本件上告手続において右判決を変更することができず、したがつて、原判決の主位的請求を棄却した部分を破棄することは許されないのである。
裁判官大塚喜一郎の反対意見は、次のとおりである。
記録によれば、(1) 被上告人(原告)は、本件輸出円貨代金振込依頼契約(以下「本件契約」という。)を第三者の為にする契約であるとして、上告人(被告)に対して約定の取立代り金三〇万一〇〇〇円の支払を請求したところ、第一審は右請求を認容した。(2) 原審において、被上告人(被控訴人)は、予備的請求として、訴外飛鳥貿易株式会社(以下「訴外会社」という。)に代位して、上告人(控訴人)に対し、本件契約を解除するとともに、上告人が訴外会社に対して負担するに至つた取立代り金返還債務中被上告人が訴外会社に対して有する原判示売買代金債権相当額の支払を求めたところ、上告人は、訴外会社に対する貸金債権をもつて右取立代り金の返還債務を対当額において相殺した旨主張したが、原審は、本件契約が第三者の為にする契約であることを前提とする主位的請求を棄却し、予備的請求に対する判断として、右相殺の抗弁は被上告人との関係では取引の信義則に反し権利を濫用するものとして許されないとの判断を示して、被上告人の請求を認容した。
これに対する上告理由第一の要旨は、債権者代位権を行使する被上告人は、その債務者である訴外会社が上告人に対して権利を行使する場合と同一の立場にたつものであるところ、訴外会社の上告人に対する債務が相殺によつて消滅した以上権利の濫用を論ずる余地はなく、原審の右判断は民法四二三条の解釈適用を誤つたものであるとするものであるが、多数意見は右論旨を是認し、原判決には破棄すべき違法があるものとしている。債権者代位にかんする右解釈は正当であり、その限度において、私は多数意見に異論はない。
ところで、多数意見は、原審が、右結論に導く前提として主位的請求を認容した第一審判決を取り消し、本件契約を委任契約とした解釈を是認しているが、私は、次の理由により、本件契約を第三者の為にする契約であると解するのが相当であると考える。
思うに、輸出円貨代金依頼契約は、中小企業の輸出業者がその取引銀行(仕向銀行)に対し、輸出為替手形の買取または取立を依頼すると同時に、仕向銀行においてその買取代金または取立代り金のうちから、右輸出業者が当該輸出商品の買付先である生産業者らに対して負担する買受代金支払の手段として、右買受代金相当額の金員を右生産業者らの取引銀行(被仕向銀行)の口座に振り込むことを依頼し、仕向銀行がこれを承諾することによつて成立するものであるところ、輸出業者は生産業者らとの間で売買契約が成立する以前に、仕向銀行から、将来仕向銀行に対し輸出手形の買取りまたは取立を依頼することを停止条件として仕向銀行から予め前記の承諾を得たうえ、生産業者らに対して右承諾の記載された書面を提示し、買受代金支払の確実性を担保して輸出商品を買受けることが一般に行われている。この場合生産業者らとしては、その代金が支払われる過程に社会的信用性の高い為替取引銀行が介在していることに信頼をおき輸出商品を出荷するものであり、他面、右銀行は、為替取引の流通過程における要めである信用機関として右業者らの負託に応える立場にあるのであり、その機能を果たすことによつて輸出為替取引が円滑に進められるのであるから、輸出円貨代金振込依頼契約の法的性質を検討するにあたつては、右取引の実体を重くみるべきである。そして、原審の確定したところによれば、前記の取引界の一般例が存在することを前提として、上告人は右の取引界の実情を了知していたものであり、被上告人と訴外会社との間に成立した本件取引も右の一般の例にならつたものであるところ、被上告人は上告人の承諾ある原判示内容の本件依頼書(甲第一号証)を信頼し確実に代金の支払を受けられるものと信じて訴外会社との間の本件取引に応じたものであり、上告人もその間の事情を知らなかつたわけでもないというのであるから、右確定事実と前叙の輸出為替取引の実体とを併せ考えると、本件契約締結の当事者の意思は、その買取り代金または取立代り金中の前記振込依頼額相当の金員については直接被上告人に対し債権を取得させる趣旨であり、甲第一号証により第三者のためにする契約が成立したものと解するのが相当である。
なお、被上告人の取得した債権は、もともと、上告人に対して訴外大和銀行錦糸町支店の被上告人口座口へ前記代り金を振り込むことを請求することを内容とするものであるが、本件上告人請求の如く右代り金相当額の支払を求めるものであつても、その経済的効用は同一であるから、これをそのまま是認して差しつかえはないと考える。さらにまた、本件の場合における受益の意思表示については、本件振込依頼書の形式および記載内容に照らすと、すでに振込依頼申込の準備段階において、被上告人は、訴外会社に対して訴外銀行錦糸町支店の自己の口座口に振込を依頼されたきことおよびその趣旨を上告人に伝達されたきことを申し入れていたものと推認することができるから、右受益の意思表示は、訴外会社を使者ないし代理人としてなされ、甲第一号証が成立したことによつて、将来訴外会社が上告人に当該輸出為替手形の買取又は取立を依頼することを条件として確定されたとみることができる。
ところで、右の如く本件契約を第三者のためにする契約と解する帰結として、原審が被上告人の主位的請求を排斥し予備的請求を認容したことは、法令の解釈適用を誤つたものというべきであるところ、被上告人は、当審において、原審で請求を棄却された主位的請求については不服申立をしていないから、当審がこの請求部分について調査判断することができるかどうかについては、検討すべき問題がある。吉田裁判官らの補足意見は、民訴法四〇二条、四〇五条を厳格に解釈する立場から、消極に解すべきものとされているが、私は、これを積極に解すべき合理的理由がある場合には、特段の事由あるものとして例外を認めるべきであると解する。本件の場合、被上告人が主位的請求にかんして上告または附帯上告をしなかつたのは、冒頭掲記の経緯に照らすと、原審が被上告人の主位的請求を排斥し予備的請求を認容したためであつて、被上告人は、原審の右判断が正当であると考えたか、または結論において不服を申立てる必要がないと考えたものである、と解するほかはない。すなわち、被上告人が右の不服申立をしなかつたのは、前掲私見を前提とすれば、原審が法令の解釈適用を誤つたためであるということができるから、このような場合、当審が、特段の事由あるものとして、被上告人が一審、原審を通じて主張してきた主位的請求部分を調査判断の対象とすることは、私的紛争の合理的解決を目的とする民訴法の基本理念に照らして是認すべきである(類似の取扱いをした先例として当裁判所昭和三七年(オ)第五五〇号同四一年一二月一五日第一小法廷判決・民集二〇巻一〇号二〇八九頁参照)。
よつて、原判決の主位的請求を取消した部分及び予備的請求を認容した部分を破棄し、本件を東京高等裁判所に差し戻すことが正当であると考える。
(大塚喜一郎 吉田豊 本林讓 栗本一夫)
上告代理人島谷六郎、同山本晃夫、同高井章吾、同杉野翔子の上告理由
原判決には、左のとおり判決に影響を及ぼすこと明らかな法令違背がある。
第一、原判決には民法四二三条の解釈適用に誤りがある。
一、原判決は、被控訴人(被上告人)は直接、控訴人(上告人)に対しオーストラリア商業銀行発行の信用状(一九六八年五月二八日付#S六一四六、一九六九年三月一八日付#S九〇八四)に基づく輸出荷為替手形の取立金(以下、本件取立金という。)の支払を求めうるとし、その根拠を民法四二三条権者代位権に求めている。
債権者代位権に基づき権利行使をされた相手方(本件被告、控訴人、上告人)は債権者(本件原告、被控訴人、被上告人)との関係において債務者(本件訴外飛鳥貿易株式会社)自身が権利を行使した場合と同一の立場に立つものである。
債権者が債務者に代位することによつて本来債務者が有した以上の権利を取得したり、相手方が債務者に対して主張しえた抗弁権を失うものではない。
ところで、本件では被上告人からの本件取立金の支払請求がある以前である昭和四四年七月二六日上告人は訴外飛鳥貿易株式会社(以下、訴外会社という。)に対し、上告人が訴外会社に対して有した債権をもつて本件取立金支払債務と相殺する旨の意思表示をなしていた。即ち、被上告人が債権者として代位行使しようとした時には、既に債務者である訴外会社の取立金支払請求権は消滅していた。被上告人が訴外会社に代位して本件取立金支払請求権を行使しようにも、その請求権は既に存在しなかつたものである。従つて、上告人が本件取立金の支払を拒絶したのは当然である。
原判決の説くところは、被上告人に債権者代位権に基づき、既に消滅したはずの本件取立金支払請求権を行使させようとするもので、これでは、債務者が有していない権利を債権者に行使させることになり、それは、民法第四二三条の適用を誤り、その趣旨を逸脱するものである。
二、原判決は、控訴人は、控訴人の訴外会社に対する債権と本件取立金を含む訴外会社の控訴人に対する債権とを対当額で相殺する旨の意思表示をしたから、右取立金を訴外会社に対し支払う義務は消滅したとの控訴人の主張につき、右相殺の主張は、被控訴人との関係においては取引の信義則に反し権利の濫用として許されないと判断した。
しかし、上告人(控訴人)の相殺の主張につき権利濫用を論ずる余地はない。
上告人と訴外会社との間において、訴外会社が上告人に対し本件取立金の支払を求めたと仮定しよう。この場合、上告人の訴外会社に対する右取立金支払債務が発生する前に既に取引停止処分を受けたことにより一切の債務の期限の利益を喪失しており、上告人の訴外会社に対する債権と本件取立金支払債務とは相殺適状にあつたのであるから、上告人は訴外会社に相殺をもつて対抗しえたはずである。
この点については何人も異論はないであろう。
そして、債務者に代位した債権者は相手方が債務者に対抗しえた抗弁をもつて対抗されることは前述のとおりであるから、相手方の相殺の主張は債権者に対しても債務者に対するのと同様に認められるべきものである。(大判昭和一一年三月二三日)
原判決は、訴外会社(債務者)に対する関係ではともかく、被控訴人(債権者)との関係においては相殺の主張は権利濫用になつて認められないというが、債権者代位においては債権者以上の権利を取得しえないのであるから、債務者と債権者とは同一の立場にたつべきものであつて、相殺も、いずれに対する関係でも同様の効力が認められるはずである。
従つて、訴外会社に対する関係で上告人の相殺の主張が権利濫用にならない以上、被上告人との関係で権利濫用を問題とするのは誤りである。これは債権者代位に関する法律解釈を誤まつたものである。
三、元来、上告人から債務者である訴外会社に対する相殺権の行使がなされていないうちに被上告人から代位による請求があつた場合でも、上告人からの相殺の主張は許されなければならないはずである。まして、本件は代位請求前に上告人から相殺の意思表示がなされ、これにより消滅したはずの債権の弁済を被上告人が代位により請求する事案である。原判決が被上告人との関係で上告人の相殺の主張を制限するのは、相殺により一旦、消滅した上告人の債務が第三者(被上告人)の請求があつたことにより復活するとでもいうのであろうか。そのような法理をわれわれは知らない。あるいは、控訴人の相殺の意思表示の効力は訴外会社との関係で相対的にのみ生ずるとでもいうのであろうか。そのようなことはあるまい。
本件取立金支払債務は上告人の相殺の意思表示によりすでに絶対的に消滅したもので、原判決の論理は矛盾に満ちたものである。
第二、<省略>